「目次」を意味する aekirusi の由来

知里幸恵の『アイヌ神謡集』(1923年)では「目次」に Aekirushi というアイヌ語が当てられています.三年前『知里真志保フィールドノート』第3冊を編集したとき,凡例にその由来と思われることを書きましたが,余り読まれていないようなのでここに手を加えて繰り返します.不必要なことと思わないでもないのですが,自説に強い執着を持っているので書くのが抑えきれないのです.恐縮.

Aekirushi という単語は,『アイヌ神謡集』発刊の準備をしているさなか,金田一京助知里幸恵との協議により作られたものと推定されます.

おそらく,西洋で「目次」にあたる単語が「内容」とか「中身」という意味をもっていることを金田一が示唆し,それにならって幸恵が作ったものでしょう.

a-e-kir-us-i 「人(が)・食べる・骨髄(が)・ある・処」

骨髄 kir は大変好まれた食べ物でした.骨を割って,先を細かに削り起こした細い棒を中に差し込んで,その削り起こしに骨髄を絡めて取り出しました.kir は骨の「中身」なのです.目次は本の「中身」がある箇所を示すものです.

ですから、もっと簡単に kir-us-i 「骨髄(が)・ある・処」でもよかったのでしょうが,幸恵は丁寧に a-e 「人(が)・食べる」という連体修飾句を kir に付けています.したがって、kir が「骨髄」を意味する名詞であることはほとんど疑いえません.

昨年亡くなった片山龍峯氏の

「人・〜で・〜に覚えがある・所」

という解釈は全く受け入れられません.kir-us を「〜に覚えがある」と理解しているようですが,kir に「覚え」という意味はありません.もしそんな意味があるとすれば,なるほど kir-us-i は「覚え(が)・ある・処」という意味になります.では不定人称接頭辞 a- はいかなる動詞に付いているのでしょう.二項動詞 us 「〜が〜にある」の主語に相当するものは kir で,目的語に相当するものは被修飾要素の i 「処」です.ですから kir-us-i は「覚え(が)・ある・処」という意味になるのですが,この形式ではもはや不定人称接頭辞主格形 a- (「人」ととりあえず訳す)のような名詞的接頭辞を取ることはできません.us の名詞項をとらえる二本の腕(「〜」で示す)が kir 「骨髄」と i 「処」とでもう塞がっているからです.僕の解釈では,a- は二項動詞 e 「〜が〜を食べる」の主語を取る腕につかまえられています.kir はその目的語に相当するものですから,目的語を取る腕につかまえられています.そこで a-e-kir 「人が食べる骨髄」と解釈するほかないのです.それにしても片山氏のように e を動詞ではなく補充接頭辞と解釈すれば,新たな腕(「〜で」)は空をつかむしかありません.