父の葬儀に当たっての喪主(わたし)からの挨拶と父の詩一編

父弘雄永眠のおりは、皆様より深い哀悼のお気持ちをお寄せいただき、感謝の言葉もありません。父は医伯院慈海弘遠大居士という法名を授かり、また、本日は四十九日の法要を営むことができました。これも皆様のおかげと存じ、母、姉、弟とともに厚くお礼申し上げます。

6月25日の告別式でお話しいたしました父の思い出を今一度ここに記し、あわせて父の書いた詩の中から、「根雪」と題するいかにも父らしい作品になっていると思われるものを引いてご披露いたしたく存じます。お読みいただければ幸いです。

2006年7月29日       


父は去る水曜日、6月21日の朝、死にました。ゴミを出して、新聞を取り込み、日記帳に一面記事の抄録を記した後、再びベットに戻り、しばらくして軽いうめき声が聞こえましたので姉が様子を見に行くと、すでに事切れておりました。心筋梗塞による死亡と診断されましたが、苦悶した跡の見られない安らかな死に顔でした。享年81歳です。

父は大正13年、木更津から\kana{小櫃}{おびつ}川を遡ること十数キロの横田という村に小学校の教師の次男として生まれました。敗戦の年の春、旧制山口高等学校を卒業し、千葉医科大学に入学しました。卒業後、北海道に渡り、北大の応用電気研究所で博士論文を書きましたが、学問を究めるといった肌合いではなく、実験に使う野良猫をつかまえるのがうまくて、猫を入れた箱を自転車の荷台にくくりつけて通学したという武勇伝を残して札幌をあとにし、\kana{遠軽}{えんがる}というオホーツク沿岸地方の小さな町の病院に勤務することになりました。以来ずっと臨床医として生きて参りました。

こうして遠軽はわたしたちきょうだいの故郷になったのですが、父はその町で内科医として活躍しました。患者さんのみならず、看護婦さん始め病院の職員の方々にも大変人気のある医者であったことは子供心にも分かりました。わたしが長じて一人札幌に住むようになってから、かつての患者として、また職員として父を知る方々に会う機会が何度かありました。病弱だった幼児期、父の診察をたびたび受け、それがきっかけとなって医者を志すようになったという方もいらっしゃいましたし、父に国家試験受験の指導をしてもらい、事務職員から臨床検査技師に転じたという方にもお会いしたことがあります。その方はカンニングのやり方まで教わったとおっしゃっておりました。このように父はひょうきんな一面のある人でした。

昭和39年に千葉の両親(すなわちわたしどもの祖父母)の懇望を入れて、本人の言う十数年におよぶ北海道放浪時代を切り上げて、この検見川で開業いたしました。折から高度経済成長の波が潮のように押し寄せ、それとともに切替医院も繁盛いたしました。まだ救急医療体制の整わない時代でしたから、深夜の2時、3時まで、また早朝の4時近くに患者さんがみえられることはまれではなく、父もそれによく応えて休むことなく診療を続けました。働き詰めに働いた人だと思います。

こうして一介の医者として生きて来たわけでありますが、文を綴ったり詩を作ったり、俳句を詠んだりすることを大変好みました。道楽といえばそれきりです。作家では太宰治を尊敬していたようです。父の書斎には、詩文を書き散らした紙が山のように残っています。が、父はそれらを世に問うということはしませんでした。人に読まれてこそ文を作る喜びもあると思うのですが、それらの紙片をくず同然に扱い、整理することさえしませんでした。ただ、年賀状に俳句を刷らせ、札幌のわたし宛にごく頻繁に詩や俳句を記した葉書を送ってくれたことが発表と言えば言えなくもないことでした。

また、遠軽時代、まだ幼かった私たちを寝かせつけるために、自分で作り上げた冒険物語を語ってくれたり、怪談をして私たちをこわがらせたり、児童文学を読んで聞かせてくれました。

このような純粋な文芸愛好家たることが父のもう一つの顔であったことをご存じない方々が多いと思いますので、お伝えした次第です。

以上、簡単ではありますが、父の思い出をいくつかお話しいたしました。

これからは残された母と父の位牌を守っていく所存です。皆様の変わらぬご厚誼をお願いするとともに、ご健勝をお祈り申し上げます。



根雪

君の青春の遍歴を、私は全く知らない。只自分の青春を、がむしやらに突進したであらうことは、君の雰囲気から想像し得る。君は人生の出発に際して、夢と希望を高らかに掲げて歩み出したに違いない。昭和20年代、戦後の混乱の場が、君の青春の舞台になった。

然し、初めて、君が私の前に姿を現した場所は、北国の小さな町の白い壁の病院の一室であった。青春の栄光が無惨に崩れて、君は一人のアルコール中毒患者として、私の前にあった。

君の並々ならぬ力量と素質を感じとった私は、次の様な詩を書き留めて、君に送った事を忘れない。昭和36年の初冬、雪が根雪になる晩であった。


灰色の空より
太陽の光りとゞかぬ大地に
根雪となる 粉雪 降りしきり
酒神に召されし 若き魂の嘆きよ


 あゝ、酒よ 酒の酔いよ
 酔いが、脳髄に 沁みて
 空間は 全宇宙となり
 幻は 実在となり 己は全き者となり
 虫どもが這い 汚れし声が聞こえ
 その中に 転び伏す
 幻視と幻聴と 邪宗の美よ
 彼方へ 第四次元の世界へ 全きの自由へ
 完全な虚空へ。
 悲しき別れが 君を捕らえた時
 かすかに聴こえる。
 「行くのを止めよ。止めよ。」
 子の声が、君の耳に聞こえて
 妻の泣く声が聞こえて
 君は 土器を 投げ棄てた
 酒神が去って、君は睡った。
 「今宵、根雪になるだろう。」と君は
 つぶやいて、ねむった。


 君には力がある。
 君には愛がある。
 君には情熱がある。
 君には自由がある。
 君には雄叫びがある。


 君はその力の故に 酒を呑んだ。
 君はその愛の故に 酒を呑んだ。
 君はその情熱の故に 酒を呑んだ。
 君はその自由の故に 酒を呑んだ。
 君はその雄叫びの故に 酒を呑んだ。


白い壁の病室で、若い医師が、君を笑ってこう言った。


 「酒神が 君を捕らえて離さない。
 君の力と愛と情熱と自由と雄叫びが
 酒神にのみ捧げられた時
 君の力と愛と情熱と自由と雄叫びは、
 酒神の餌食となって、
 君はも抜けの殻となる 木乃伊になる。」


医者は嘲笑って 白い壁の病室から 灰色の夜を眺めた。
雪は根雪になるだろう。


灰色の空より
太陽の わずかな光 洩れて
根雪となりし 朝の明るさ
白壁の病舎の 一隅に
新生の息吹を聞きぬ。


『本間武男画集 灰色の旅情』より