「真駒内」の由来

一週間前に初めてブログに書いて、その後、体の調子が悪くなり(自律神経失調症)、週の大半は寝床に転がっていたので、今朝までこのページが開けませんでした。

今朝、一週間ぶりで見てみるとコメント欄にライブドアの勧誘が書き込まれていました。こういうのはいやだね。それにライブドアって小汚い商売をしているところだろう。後でなんとか消してやろうと思っています。

ところで「真駒内」にリンクが張られて、次のような記述を読むことができました。アイヌ語に無知だからだろうけど、無批判な受け売りです。引用したうえで誤りを正しておきます。

マコマナイ(mak-oma-nay:奥、にある、川)。アイヌ語の mak は「後ろ、奥」、それに対する sa は「前」と訳すことができます。これが地名に現われる場合、mak は「山手」、sa は「浜」となります。これは、アイヌが浜を向いて生活していた民族だったから、ということができると思います。

マコマナイは、「山の奥から流れてくる川」という意味になります。地図でみると良くわかるのですが、この豊平川沿いの他の河川と比べると、真駒内川は格段に奥深いところから流れてきています。

mak というのは、川に対して後ろの方向,つまり,川に対して垂直に川から遠ざかっていく方向のことです。これに対して川に沿って、つまり川に対して平行の方向というものが考えられます。それには上向き、下向きの二つの方向があって、それぞれ kim (山手、川上方向)と sa (浜手、川下方向)といいます。

さて、mak には、よほど広大な平野の中を流れる川でない限り、たいてい山がありますから、日本語に訳すと mak も kim も同じく「山手」になってしまうことが多いのです。しかし、mak と kim の違いははっきりしています。ただこの違いは、僕がアイヌ語十勝方言の分析を進めているときに「発見」されるまでは研究者の間で知られていなかったのです。mak に対応する概念が日本語にないのもその発見が遅れた原因だと思います。知里真志保先生や山田秀三さんはこの違いを自覚されないままに、mak を「後背」「後ろ」「奥」などと訳されています。上で引用した解説文では「山の奥」「奥深いところ」とされ、山田さんの所感がそのまま踏襲されていますが、川の源の山奥は kim であって、mak ではありません。また、先に示したように sa に対立するのは mak ではなく kim です。なお、sa には「前」などという意味はありません。「前」は kotcake です。

定山渓の山々の間を東へと流れる豊平川 Satporo を下るとき、その左岸(北側)は歩くことはできません。険しい断崖が続いているからです。それで、アイヌは右岸(南側)を歩いたに違いないのですが、やがて Satporo は真駒内 Makomanaj の柏丘にぶつかり向きを北へ変えます。ここで、今度は右岸が歩けなくなるのです。柏丘の断崖だからです。そこで、より下流の豊平 Tujpira に出るためには柏丘の鞍部(石山陸橋のあたり)を乗り越えてこの難所を回避する必要があります。Satporo を徒渉する手もあったのかもしれませんが、このあたりは水量が多くかつ流れが急です。

柏丘を越えると遠く南方の空沼岳を源とする真駒内川 Makomanaj が流れています。この川は柏丘の背後を巡って今の真駒内公園の北端で Satporo に合流していますから、これを下っていくとまもなく、再び Satporo に出ることができるのです。そこまで来れば、Tujpira はもうすぐです。

Makomanaj が当時重要なルートであった Satporo を上り下りするアイヌによって Satporo の mak にある川と認識されていたということは、もうおわかりと思います。